1600年のヨーロッパ
オーストリア系ハプスブルク家、すなわちオーストリア・ハプスブルク家(後のハプスブルク=ロートリンゲン家)は、カール5世の弟フェルディナント1世に始まる(ハプスブルク君主国)。1648年に三十年戦争終結とともに結ばれたヴェストファーレン条約によって弱体化した。しかしオスマン帝国の第二次ウィーン包囲(1683年)撃退の後、ハプスブルク家は力を取り戻し、オスマン帝国を破りハンガリーを奪還する(1699年、カルロヴィッツ条約)。スペイン継承戦争では、ハプスブルク家に支援を申し出たホーエンツォレルン家のブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世にプロイセンにおける国王の称号を認めるなど、神聖ローマ皇帝としての権威を示す。
1740年、カール6世が男子を欠いたまま没したため、神聖ローマ皇帝位を喪失し、オーストリアは長女マリア・テレジアが相続したものの、それを不服とするプロイセンなど列強との間にオーストリア継承戦争が勃発した。オーストリアはシュレージエンを失うなど一時苦境に陥るが、イギリス(グレートブリテン王国)の援助を受け劣勢を挽回し、1748年アーヘンの和約によってオーストリア、ベーメン、ハンガリーの継承を承認される。また、マリア・テレジアの夫であるフランツ・シュテファンが1745年に神聖ローマ皇帝となったことで、ハプスブルク=ロートリンゲン家として帝位を奪還した。その後、大国化するプロイセン王国に対抗する為、フランス王国と接近(外交革命)した。フランス王太子ルイ(ルイ16世)とマリア・アントーニア(マリー・アントワネット)の結婚もその一環である。しかしこの行為は、ドイツ諸侯の支持を失い、神聖ローマ皇帝としての権威を損なう結果となった。しかし大国としての地位を確保し、プロイセン、ロシアと共にポーランド分割に参加した。更にマリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世は啓蒙主義を推し進めるなど、積極的に富国強兵に努めた。
しかし1789年のフランス革命は、ハプスブルク家に衝撃を与えた。ルイ16世とマリーアントワネットの処刑は、ハプスブルク家に脅威を与え、プロイセンと共にフランスに出兵する(フランス革命戦争)。しかしフランス革命政府軍に敗れるなど失態を犯し、挙げ句の果てにナポレオン・ボナパルトの台頭を許して、やがて全ヨーロッパがナポレオン戦争の災禍に呑み込まれ行く動乱の時代に突入するのである。
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