shijoさんの旅行記
テーマ:ハネムーン
旅行記タイトル:家族9人で新婚旅行?マーチャーシュ教会で挙式 その6教会へ編
旅行期間:2005/10/04〜2005/10/15

旅行記の内容:2005年10月8日、遂に挙式の日が訪れた。
挙式は15:15行われる段取りになっており、ホテルからの移動はミニバスとリムジンを手配していた。
車は14:30にホテルに来るので、それまでにロビーに降りればよいわけで、時間はたっぷりあったが心は落ち着かない。
前日に神父様とマーチャーシュ教会で儀式の予行演習をしたが、覚え切れていなかった。
儀式の合間に神父様の呼び声で立ったり座ったり、誓いの言葉を述べるのだが、神父様に教えて頂いた事をイメージしてみたものの、はたしてそれで合っているのかもそもそもわからず、不安は全く解消される事はなかった。
こんな調子では式は一体どうなるのだろうか・・・。
出発前、妻が義妹にメイクを施され、ウェディングドレスで現れた。
普段彼女は化粧をしない方なので、何か別人のようだ。
一方当の妻は幸せ満杯と言うよりもドレスが苦しくそれどころでは無かったそうだ。
エレベータで妻と二人でロビーに降りると既に家族は皆集合し、彼女のハンガリーの友人達も来ていた。
苦しい顔をしていた彼女もさすがに久々に会う友人達を見ると笑顔になった。
ロビーで衣装を着て皆で談笑していると、挙式用の衣装は余りにも目立ち、宿泊客から写真をパシャパシャと撮られたり、祝福の言葉を頂いたり。
しかしこうした撮影は序章に過ぎない。
14:30前、リムジンと参加者11人が乗るミニバスが到着した。
リムジンは8mの長さのリンカーンコンチネンタル、ブダペストでのリムジンの手配は比較的安いので思い切って奮発した。
車は、ホテル→教会→レストラン→ホテルと約4時間貸し切ることにしていた。
車の手配に際し、教会までのコースはこちらでリクエストできる。
私はもちろん、ホテルの位置するアンドラーシ通りから鎖橋を渡り、王宮の丘へと登るゴールデンコースを頼んだ。
リムジンに乗り込むと車内は広い!後部座席には雰囲気を出すための電飾も操作できる装置もある。
そしてスパークリングワインやブランデー、グラスも用意され、流石リムジンというだけある。
車の窓にはもちろんスモークが施され、外からは見えない。
車が出発しアンドラーシ通りを走っているとブダペストでは珍しいのか、町を歩いている人が注目しているのが一目で分かる。
何だか芸能人になったみたいだ。
車はホテルからアンドラーシ通りを走る。
アンドラーシ通りは1867年の二重帝国時代初代首相アンドラーシ卿がパリのシャンゼリゼ通りを模して作った。
通り付近には大使館が軒を連ね、オペラハウスや有名なカフェが位置する落ち着きある通りとしても知られている。
このアンドラーシ卿は皇妃エリザベートとフランツ・ヨーゼフがマーチャーシュ教会で戴冠式の様子を描いた有名な絵画にも帽子を持った右手を高らかに上げたアンドラーシの姿がある。
そして時の首相デアーク卿の名を冠したデアーク・フェレンツ広場を抜け鎖橋を渡る。
デアーク・フェレンツはコシュート・ラヨシュに率いられハプスブルクからの独立戦争に敗北後、ハンガリーの指導者となった。
当時のデアークは「ハプスブルクからの回し者」と揶揄されるくらい国民からの支持は低くかったが、彼の穏健的な政策が結果的に二重帝国の礎を作った。
デアーク・フェレンツ広場を過ぎると、いよいよドナウ川に差し掛かる。
そして鎖橋を渡っていく。
鎖橋の正確な名称は「セーチェーニの鎖橋」と言い、セーチェーニ卿が資産を投じ英国のクラークが手掛けた橋だ。
この橋が完成したおかげでオーブダ、ブダ、ペストが合併し、ブダペストが誕生し、その後二重帝国時代のもう一方の首都、ウィーンを凌ぐ大都市となった。
ブダペストの申し子、鎖橋を渡ると直ぐに王宮の丘へと車は登り始める。
丘へと続く道から路面が石畳となり、車の走るタイヤの音が少しカタカタと聞こえるが揺れは殆ど感じられない。
流石高級車は安定感が抜群だ。
弧を描くように丘へと登ると、車はマーチャーシュ教会正門前で停まった。
教会周辺は歴史地区として世界遺産に登録され、ハンガリーで最も観光客が多い場所の一つである。
我々のリムジンが到着すると近くを歩いていた観光客たちが、一体誰が出て来るのか、芸能人でも乗っているのかと足を止めてリムジンに注視している中、扉を開け車から降り立つだけでも観光客から歓声が上がった。
馴れない歓声に自分達は恥ずかしくて仕方なかった。
リムジンを教会の横につけ、しかもウェディングドレスを纏った、更に日本人が車から現れれば、注目されないはずがない。
写真:2005年10月8日、遂に挙式の日が訪れた。
挙式は15:15行われる段取りになっており、ホテルからの移動はミニバスとリムジンを手配していた。
車は14:30にホテルに来るので、それまでにロビーに降りればよいわけで、時間はたっぷりあったが心は落ち着かない。
前日に神父様とマーチャーシュ教会で儀式の予行演習をしたが、覚え切れていなかった。
儀式の合間に神父様の呼び声で立ったり座ったり、誓いの言葉を述べるのだが、神父様に教えて頂いた事をイメージしてみたものの、はたしてそれで合っているのかもそもそもわからず、不安は全く解消される事はなかった。
こんな調子では式は一体どうなるのだろうか・・・。
出発前、妻が義妹にメイクを施され、ウェディングドレスで現れた。
普段彼女は化粧をしない方なので、何か別人のようだ。
一方当の妻は幸せ満杯と言うよりもドレスが苦しくそれどころでは無かったそうだ。
エレベータで妻と二人でロビーに降りると既に家族は皆集合し、彼女のハンガリーの友人達も来ていた。
苦しい顔をしていた彼女もさすがに久々に会う友人達を見ると笑顔になった。
ロビーで衣装を着て皆で談笑していると、挙式用の衣装は余りにも目立ち、宿泊客から写真をパシャパシャと撮られたり、祝福の言葉を頂いたり。
しかしこうした撮影は序章に過ぎない。
14:30前、リムジンと参加者11人が乗るミニバスが到着した。
リムジンは8mの長さのリンカーンコンチネンタル、ブダペストでのリムジンの手配は比較的安いので思い切って奮発した。
車は、ホテル→教会→レストラン→ホテルと約4時間貸し切ることにしていた。
車の手配に際し、教会までのコースはこちらでリクエストできる。
私はもちろん、ホテルの位置するアンドラーシ通りから鎖橋を渡り、王宮の丘へと登るゴールデンコースを頼んだ。
リムジンに乗り込むと車内は広い!後部座席には雰囲気を出すための電飾も操作できる装置もある。
そしてスパークリングワインやブランデー、グラスも用意され、流石リムジンというだけある。
車の窓にはもちろんスモークが施され、外からは見えない。
車が出発しアンドラーシ通りを走っているとブダペストでは珍しいのか、町を歩いている人が注目しているのが一目で分かる。
何だか芸能人になったみたいだ。
車はホテルからアンドラーシ通りを走る。
アンドラーシ通りは1867年の二重帝国時代初代首相アンドラーシ卿がパリのシャンゼリゼ通りを模して作った。
通り付近には大使館が軒を連ね、オペラハウスや有名なカフェが位置する落ち着きある通りとしても知られている。
このアンドラーシ卿は皇妃エリザベートとフランツ・ヨーゼフがマーチャーシュ教会で戴冠式の様子を描いた有名な絵画にも帽子を持った右手を高らかに上げたアンドラーシの姿がある。
そして時の首相デアーク卿の名を冠したデアーク・フェレンツ広場を抜け鎖橋を渡る。
デアーク・フェレンツはコシュート・ラヨシュに率いられハプスブルクからの独立戦争に敗北後、ハンガリーの指導者となった。
当時のデアークは「ハプスブルクからの回し者」と揶揄されるくらい国民からの支持は低くかったが、彼の穏健的な政策が結果的に二重帝国の礎を作った。
デアーク・フェレンツ広場を過ぎると、いよいよドナウ川に差し掛かる。
そして鎖橋を渡っていく。
鎖橋の正確な名称は「セーチェーニの鎖橋」と言い、セーチェーニ卿が資産を投じ英国のクラークが手掛けた橋だ。
この橋が完成したおかげでオーブダ、ブダ、ペストが合併し、ブダペストが誕生し、その後二重帝国時代のもう一方の首都、ウィーンを凌ぐ大都市となった。
ブダペストの申し子、鎖橋を渡ると直ぐに王宮の丘へと車は登り始める。
丘へと続く道から路面が石畳となり、車の走るタイヤの音が少しカタカタと聞こえるが揺れは殆ど感じられない。
流石高級車は安定感が抜群だ。
弧を描くように丘へと登ると、車はマーチャーシュ教会正門前で停まった。
教会周辺は歴史地区として世界遺産に登録され、ハンガリーで最も観光客が多い場所の一つである。
我々のリムジンが到着すると近くを歩いていた観光客たちが、一体誰が出て来るのか、芸能人でも乗っているのかと足を止めてリムジンに注視している中、扉を開け車から降り立つだけでも観光客から歓声が上がった。
馴れない歓声に自分達は恥ずかしくて仕方なかった。
リムジンを教会の横につけ、しかもウェディングドレスを纏った、更に日本人が車から現れれば、注目されないはずがない。
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