babyananさんの旅行記
テーマ:世界遺産・遺跡・秘境
旅行記タイトル:Romania in 2006 vol.2 ?五つの修道院?
旅行期間:2006/06/06〜2006/06/06

旅行記の内容:とうとう、やってきました♪♪♪
ブコヴィナ地方に点在する修道院。
一つ一つ回るのは時間的にとてもリスクが高いので、車を一台チャーターして5つの修道院を回りました。
ドライバーはあくまでドライバー?ガイドがいないのはちょっと残念でしたが、ガイドブックでカバーしました☆
修道院はたくさんありますが、その中でフレスコ画が描かれたものは、ここブコヴィナ地方には現在8つ。
そのうち比較的保存状態のよいものが5つです。
これらのブコヴィナ地方の教会が建てられたのは、モルドヴァ公国の黄金期、16世紀のころ。
つまりオスマン朝の最盛期でもであり、モルドヴァ公国も例外なくそれによって脅威にさらされます。
(最終的には、ワラキア公国・モルドヴァ公国ともに、オスマン朝に従属することとなりました。
)
そのような中で、兵士や労働者の、宗教的にも拠所となったこれらの教会群。
読み書きの出来ない彼ら(兵士や労働者)は教会に入れず、またスラブ語の礼拝式文なども理解できず、そんな彼らのための教育・娯楽、そして関心を刺激するために、聖書の内容が漫画スタイルで教会の壁に表現されました。
太陽の光を神が放つ光と捉え、すべての教会は東を向いています?西側が入口になります。
壁いっぱいに描かれているのは現地の風景ではなく、写実的な描写による人々の姿です。
いくつかのフレスコ画は、何世紀にも亘る厳しい天候によりもちろん損傷を加えられてますが、特徴的な色は未だ十分に保たれています。
?Sucevitaの緑、Voronetの青、Humorの赤。
。
。
その後、1785年にブコヴィナ地方はハプスブルク軍に占領されます。
ほとんどの修道院は閉ざされ、人々はその精神・信仰を手放すことを強いられました。
と同時に、共産主義の下で迫害されていきます。
けれど。
この地域の人々の内に秘められたなにかが表面化するのは、もっと後になってからです。
教会の、内壁だけでなく外壁いっぱいを埋め尽くすように描かれたフレスコ画。
このような背景を考えると、なぜか切ない感じを覚えましたね。
。
。
フレスコ:fresco
西洋の壁画に用いる技法。
漆喰を塗って乾ききらないうちに水彩絵の具で描く。
石灰の層の中に絵の具が染みこんで乾くため堅牢。
(広辞苑より)
写真は、Voronet修道院より
「最後の審判」
参考書籍:「旅名人ブックス87 ルーマニア」(日経BP)
写真:とうとう、やってきました♪♪♪
ブコヴィナ地方に点在する修道院。
一つ一つ回るのは時間的にとてもリスクが高いので、車を一台チャーターして5つの修道院を回りました。
ドライバーはあくまでドライバー?ガイドがいないのはちょっと残念でしたが、ガイドブックでカバーしました☆
修道院はたくさんありますが、その中でフレスコ画が描かれたものは、ここブコヴィナ地方には現在8つ。
そのうち比較的保存状態のよいものが5つです。
これらのブコヴィナ地方の教会が建てられたのは、モルドヴァ公国の黄金期、16世紀のころ。
つまりオスマン朝の最盛期でもであり、モルドヴァ公国も例外なくそれによって脅威にさらされます。
(最終的には、ワラキア公国・モルドヴァ公国ともに、オスマン朝に従属することとなりました。
)
そのような中で、兵士や労働者の、宗教的にも拠所となったこれらの教会群。
読み書きの出来ない彼ら(兵士や労働者)は教会に入れず、またスラブ語の礼拝式文なども理解できず、そんな彼らのための教育・娯楽、そして関心を刺激するために、聖書の内容が漫画スタイルで教会の壁に表現されました。
太陽の光を神が放つ光と捉え、すべての教会は東を向いています?西側が入口になります。
壁いっぱいに描かれているのは現地の風景ではなく、写実的な描写による人々の姿です。
いくつかのフレスコ画は、何世紀にも亘る厳しい天候によりもちろん損傷を加えられてますが、特徴的な色は未だ十分に保たれています。
?Sucevitaの緑、Voronetの青、Humorの赤。
。
。
その後、1785年にブコヴィナ地方はハプスブルク軍に占領されます。
ほとんどの修道院は閉ざされ、人々はその精神・信仰を手放すことを強いられました。
と同時に、共産主義の下で迫害されていきます。
けれど。
この地域の人々の内に秘められたなにかが表面化するのは、もっと後になってからです。
教会の、内壁だけでなく外壁いっぱいを埋め尽くすように描かれたフレスコ画。
このような背景を考えると、なぜか切ない感じを覚えましたね。
。
。
フレスコ:fresco
西洋の壁画に用いる技法。
漆喰を塗って乾ききらないうちに水彩絵の具で描く。
石灰の層の中に絵の具が染みこんで乾くため堅牢。
(広辞苑より)
写真は、Voronet修道院より
「最後の審判」
参考書籍:「旅名人ブックス87 ルーマニア」(日経BP)
P:車窓から
6:00起床。
8時間睡眠。
いい目覚め♪
幸い、天気もよいです。
体力回復するには、十分でした。
朝食ビュッフェで、昨夜レストランで会ったルーマニア人のガイドの方と再び遭遇。
これから廻る修道院は、五つとはいえブコヴィナ地方に点在。
なので要領よく廻るには・・・と、お勧めのルートを教えてくれました。
*ココCampulung Moldvenescからまず北上し、モルドヴィツァ修道院→スツェヴィツァ修道院、そしてそこからやや南西に位置するアルボーレ修道院へ、そして南下しフモール修道院→ヴォロネツ修道院と廻り、最後は西方・Campulung Moldvenescに戻る、と。
右回り。
各修道院の間は、時間にして4?50分くらいとのこと。
9:00にドライバーがお迎えにホテルへ来ました♪
そして、出発!天気はよいのですが、やはり寒いですね。
長袖2枚着用。
・・・結局。
実際は、ガイドさんのお勧めルートの反対のルートで廻ったのですが・汗

P:ヴォロネツ修道院
ということで。
ヴォロネツ村の修道院。
シュテファン大公により、3ヶ月と3週間をかけて完成しました。
1488年。
まずは、西側の「最後の審判」。
ここに来たからには、これだけは見逃せませんね。
ここの「最後の審判」はブコヴィナ地方最大の傑作と云われているほどの作品です。
これにより「東洋のシスティーナ礼拝堂」との異名を持つほどです。
そして「The blue of Voronet」と呼ばれるほどの鮮やかな青色。
この修道院は、ほかの修道院との大きな違いが一つあります。
「すべての教会の入口は西方にある」と前で述べましたが、ココは例外。
入口は西方にありません。
それは、西側にある「最後の審判」を完全に描ききるためだそうです。
「最後の審判」の価値が伺えますね。

P:子供たち
こんな小さな子供たちが、見学に来ていました♪
みんなこっちを向いてくれましたが、表情はちょっと緊張気味?

P:南側「エッサイの樹」
ちょっと遠い位置からですが。
一枚に収めたかったので。
「The blue of Voronet」鮮やかな青色です♪
なんでも日の光加減で、色が変わるそうです。
残念ながら、それを確かめることは出来ませんでした。

P:南側・入口付近
すこし、左にずれて、一枚。

P:西側「最後の審判」
まずは、一枚に収めてみました。
ギリギリ、なんとか。
[最後の審判]
世の終わりに人類が神によって裁かれること。
死者は復活し、すべての人類が裁かれて、天国もしくは地獄へ。
。
。
最上位には、天使たちによって巻かれつつある巻物に、十二宮図のシンボルが描かれています。
あまりかわいくない天使ですけど・汗
天使の輪もあるし、羽もついているし、やはり天使なのでしょう。
。
。
中ほどには、神に裁かれている人間の様子が描かれています。
左側には聖パウロが信者を、右側にはモーゼが無信仰者を引き連れて。
その下は、イエスの復活。
それにしても、圧巻です。
。
。

P:「最後の審判」
上方アップ。
右上のほうに、ちょいと星座のようなものが・・・
見えるでしょうか?

P:「最後の審判」
下方アップ。
天使が奏でる楽器はルーマニアの「ブチューン」というものだそうです。
で。
地獄に落ちているのは、やはりトルコ人。

P:フモール修道院
モルドヴァ公国の大臣ブブイオグによって建てられた修道院。
1530年。
(彼は、王子・ペトゥル・ラリッシュの指導を行う立場にいたようです。
)
この修道院には、他と異なる大きな点が二つあります。
ひとつ目は、屋根に塔が無いこと。
二つ目は、周りを囲む柵が木製であることです。
(写真では判りにくいですね。
)
この木でできた柵?オープンポーチは、今では、モルドヴァ地方の伝統的な特徴とされており、このフモール修道院のものが最初となるようです。
外壁は保存状態が良くなく、残念ながら南側以外は判別不能。

P:お花
ちょっと、足元に目を向けてみたら♪
名前は、・・・わかりません。
けれど。
きれいな紫色です。

P:南側「コンスタンティノープルの包囲戦」
唯一、判別可能な南側。
「コンスタンティノープルの包囲戦」が描かれています。
時は1453年。
スチャヴァの砦から、コンスタンティノープルの町を見下ろした構図だそうです。
ここでも、敗者とされているのはトルコ人。
→もちろん、事実ではありませんね。
。
。
前出の「The blue of Voronet」に対して、
ここは「The red of Humor」。
赤を基調とした色彩です。
なんでも、「東方(正)教会の宗教学に基づいたビサンチン・アートの特徴的な要素」が関係しているとのこと。
(現地パンフより)
???
って、この写真で分かるかなぁ?汗

P:内部
内部の撮影を許可されました。
外側からは想像つかないほど・・・。

P:車窓から
更に車を走らせ、進みます?♪
途中、かわいい色をした、ちょっと目立った建物が見えました
相変わらず、のどかです。
。
。
お天気も、良いです。

P:アルボーレ修道院
緑豊富な田舎道を、比較的長い距離を走り、到着。
スチャヴァの行政官であるルカ・アルボーレによって建てられました。
1503年。
貴族である彼は、初めは自宅の隣に、家族・親族のための教会として建てたようです。
その彼の、ゴシック調のお墓が、入ってすぐの部屋にあります。
少々、こじんまりとした雰囲気。
西側と南側の保存状態が、比較的良いようです。
ここは、緑色が基調とのこと。
でも、なかなかそうは思えず、本物の緑と一緒に「一枚」
ちょっと下からの角度が、気に入っています♪

P:西側「聖人伝」「創世記」
緑を基調としたフレスコ画。
右のコーナーにあるのは、「最後の審判」
のようです。

P:内部

P:墓標
敷地内の端のほうに。
こんなものが目に留まりました。
色とりどりの花が、供えられていました。
フレスコ画ではそれほど感じ取れませんでしたが、さほど広くはない割には緑豊かなこの敷地、
ある意味
「緑が基調」
と感じました。

P:スチェヴィツァ修道院
五つの修道院、いえ、ブコヴィナ地方の修道院の中で最大の規模と広さを持つスチェヴィツァ修道院。
さらに最も美しいという声もあるようで、保存状態も極めてgood。
1582?1601年にかけて建てられました。
私のドライバー・アタテュさんのMy favoriteであり、昨夜会ったガイド・マリウスさんのBest3にも入っていました♪
不思議なことに。
保存状態がよく、どの外壁も印象的な「スチェヴィツァ修道院」
なぜか西側の壁はほとんど真っ白です。
隅のほうに少し残っているだけ?それも「最後の審判」が途中まで。
とても、気になります。
。
。
これには伝説が・・・
西側の壁を作成中に、ある画家が足場を踏み外して落ちて、亡くなってしまったようです。
その後、同じ事が起きると恐れたほかの画家たちは、その場所へは近づかず、そのため西側の壁は完成することがないまま今に至るとのこと。
さらにもうひとつ。
不思議なこと。
このスチェヴィツァ修道院、実は世界遺産に指定されていません。
保存状態がとてもよいのに。

P:北側「天国の梯子」
門を過ぎて真っ先に目に入るのが、北面。
壁いっぱいに描かれています♪
斜めに線が入って、右上と左下。
よーく見ると、右上にはなにかかわいらしいものが並んでいますね。
→これは「天国の梯子」
天国に通じる30段の梯子を挟んで、右上が天国・左下が地獄を表しています。
悪魔の誘惑と闘いながら梯子を登る修道士たち。
みな年配に見受けられます。
右上は天国→たくさんの天使たち♪

P:敷地内
広い敷地内。
フレスコ画ばかりでなく、たまには風景も。
よく見ると、濃紫のお花が♪
晴れ渡った空です。

P:敷地内
広いです。
周りを石垣で囲まれているのが、分かりますね。

P:南側「エッサイの樹」
ダビデの父エッサイに始まるキリストの系譜が、樹で表現されているのだそうです。

P:東側「聖人伝」

P:お花
光ってしまい分かり難いですが、薄紫色の花を撮ろうと・・・
ここに来てから、紫色の花をよく目にする気がします。

P:天井
このように、どの建物も、天井にまでフレスコ画が描かれています。
「埋め尽くされている」
という表現が正しいかもしれませんね。
これも、そのひとつ。
イエス・キリスト、かな?

P:Lunch time
朝9時から動き回って(といっても、車でですが・汗)、5つのうち4つの修道院を観終えました。
昼時はとっくに過ぎて、13:30。
さすがにおなかが空いてきましたね。
アタテュさんの案内で、近くのレストランへ♪
まだ出来て新しいようで、とても綺麗です。
色鮮やかなお花もたくさん飾られていました

P:お食事?
やはり、スープは欠かせません。
「またか」
とお思いの方もいらっしゃるでしょうが・笑
もう、名前も覚えてしまいました。
「Ciorba チョルバ」
昨夜に続いて今回もベジタブルで♪
写真は、サワークリームたっぷりを加えた後です。
見た目はイマイチかもしれないけれど、なかなかの味♪
たくさんのスパイスが効いていて、複雑な味ですね。
野菜もコトコト煮込まれていて。
クセになってます♪

P:お食事?
ココは山の中なので、キノコがおすすめとの事。
・・・どこかで聞いたような?
昨夜、ホテルのレストランでも同じようなことを言われましたね、そういえば。
好きなものは毎日食べても飽きない質の私。
例外なく、キノコ料理を注文です
中でもおすすめ!といわれたのが、コレでした。
「CIULAMA DE GALBIORI CU MAMALIGUTA」
(mushrooms with sour cream and polenta)
GALBIORIというのは、あるキノコの種類の名。
見た目どおり、名前どおりの、サワークリーム味でした♪
MAMALIGUTAはpolentaのこと。
黄色い、トウモロコシの粉で作られた、もちもちした感触の付け合せ。
特に味はないので、どんなお料理にも合いますね。
ルーマニアでは、主食に当たります。
日本ではサワークリームは苦手なのですが、ここルーマニアでは、ここぞとばかりに加えてしまいました・笑
もちろん、今回のお食事もおいしかった♪♪

P:犬
お店に入ったときから、写真を撮ったこの瞬間まで、
このようにずっと寝てました・笑
野良犬以外の犬を見かけたのは・・・
もしかしてこれがはじめてかも?!
ルーマニアは、野良犬が多いです。
最初は少し恐かったのですが、特に襲ってくる気配は全くないので安心したのですけど。

P:車窓
おなかも満たされ、最後の目的地へ向かいます。

P:モルドヴィツァ修道院
とうとう5つ目、最後の修道院です。
モルドヴァ公国のシュテファン大公の息子、ペトゥル・ラレシュ公によって建てられました。
1532年。
シュテファン大公:
(モルドヴァ公国の大公として、在位1457?1504年)
ブコヴィナ地方の修道院群を、戦勝の度に建てた人物としても有名。
フモール修道院のところでも出てきた「オープンポーチ」は、ココでも見られました。
(写真は無いのですが)
なるほど、フモール修道院を建てたブブイオグは、ペトゥル・ラレシュ公(王子)の指導者としての立場にいたようで、このようなものまで影響していたようですね。
ココの(オープンポーチ)は、フモール修道院の次に作られた2番目のもののようです。
そしてさらに。
このモルドヴィツァ修道院に独特なのは、むしろ、「戦闘場面」が描かれていることのようです。
?南面の写真で、じっくりと
ちなみに、ここは黄色が基調との事でした。
(写真では、表すことが出来ませんでした・泣)

P:敷地内
緑が生い茂っています♪
やはり、紫色の花。
名前がわからないのが、残念です!

P:敷地内
緑が生い茂っています♪
やはり、紫色の花。
名前がわからないのが、残念です!

P:博物館
敷地内にある、附属の小さな博物館。
この短い道のりも、なんだかステキです♪
中には、ペトゥル公自身の王座や、父に当たるシュテファン大公から送られたタペストリー、さらにはロシア皇帝エカテリーナ2世から贈られた聖書など、貴重な展示物が掲げられているようです。
と、惹かれるものばかりなのに、
残念ながら入れませんでした・涙

P:ペトゥル・ラレシュ公の胸像
この修道院の創設者、ペトゥル・ラレシュ公の胸像です。
長髪の髪に王冠。
若いながらも、なかなかの風格?

P:南側
少し遠目に、一枚
かなりのスペースを使って、626年の
「コンスタンティノープルの攻防戦」
が描かれています。

P:南側「コンスタンティノープルの攻防戦」?
626年のペルシャ軍襲来がモチーフとなっているとのこと。
海側から攻めているのはもちろんペルシャ軍なのですが、その兵士たちの顔や装備は紛れも無くトルコ軍。
当時(16世紀初頭)のオスマン朝に対する恐怖心が、どれほど大きかったかを物語っているようです。

P:南側「コンスタンティノープルの攻防戦」?
キリスト教徒たちの守る砦、
「ビサンツ帝国の都・コンスタンティノープル」

P:南側

P:パンフレット
無事修道院巡りを終え、ホテルに戻ってきました@16:00
ココは小さな町なので、散策は昨日で充分かな。
。
ということで、ちょっと休憩&廻ったところの整理を。
いえいえ!
買わなければいけない物が↓↓!!
「ジェロビタールクリーム」
ルーマニア政府が国家プロジェクトとして行っているジェロビタールH3治療のためにアナ・アスラン博士が開発した、老化予防外用薬として開発したもの。
???
とにかく、老化予防のクリームという事で、昨年に引き続き今年も購入♪
薬局か百貨店にしか置いてなく、また地方の薬局だとリーズナブルなので、そそくさと買いに出かけました(笑)
今年は時間もあったので、クリームのほかに、アイクリーム、ハンドクリーム、クレンジングミルクも購入♪
満足・満足
写真のパンフは、後でじっくり読もうと、英語版のものを購入しました。
(いえ、写真集としてですね・笑)
この、旅行記書く際に、大変役立ってます?!(嘘)
日本語版があればいいのですが、皆無ですね。
。
。

P:チケット
ちなみに。
最初のヴォロネツ修道院では、チケット購入の際に「Are you a student?」と聞かれ、もちろん即座に「Yes!」と答えた私。
はい。
学生料金で入りました
日本人は、やはり若く(幼く)見られるようですね♪

P:夕食?
昼食が遅かったせいか、夕食時はあまりおなかがすかなかったのですが。
。
。
しっかりとオーダーしました(笑)
あまりお店が無く、情報も乏しかったので、今夜もホテルのレストランでいただくことにしました。
飽きもせず、やっぱりチョルバ。
(結局は、これが食べたかったのですね♪)
今度のは、「Ciorba de Burta」
臓物バージョンです。
(牛の胃袋が主体)
この臓物系は、昨年シギショアラで初めて口にしましたが、以来、一番好きなチョルバです♪
今から考えると、これが最後のチョルバでしたね・・・

P:夕食?
で。
これまた昨日と同じ、
マッシュルームのソテー(Ciuperci Sote)♪
・・・・・・・・・・
のはずが!
めちゃくちゃ塩辛かった・泣
なんでなんで???
同じのをオーダーしたのに?
シェフが違うと、こうも味が変わってしまうものなのでしょうか?!
さすがの私も、残してしまいました。
。
。
ママリガがどれだけあっても足りませんっ(汗)
明日は、ブカレストへ戻ります。

P:東側「聖人伝」

P:南側

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